「PURE」 31st
夜の帳が降り、短い1日が終わった。ニックと美雪の2人は、渋谷センター街のファーストフード店にいた。
「いや、さすがに疲れたな。こんなに歩いたのは何年振りだろう…」
「でも楽しかった!。ありがとね、ニック♪」
テーブルに向かい合わせに座った美雪が言った。
「約束だからな。しかし、こりゃあ明日筋肉痛になるな」
「運動不足よ、ニック。車の免許を取ると歩かなくなるのよね」
「いや、そうでもないぞ。東京に住んでると、車より電車で移動した方が便利な場合が多い。道路は混んでるし、駐車場はどこも一杯だし」
(※筆者註。ニックは実家が東京で都内に精通しているが、静岡にも会社で借りているマンションがあり、最近は静岡にいる事の方が多い。第1話で夜中に叩き起こされたのも静岡のマンション。)
「ふ〜ん」
真剣にニックの話に耳を傾ける美雪。
「そうそう。俺の知り合いに、アパートの家賃より駐車場代の方が高いという男がいるぞ」
「凄い話ね。東京ならではだわ…」
「エンスーなんだ。自分はボロアパートだが、車は屋根付き、鍵付き、シャッター付き、さらに警報機付きのガレージの中でいつもピカピカ。雨の日は乗らず、乗ったら必ず洗車してワックスをかけてからアパートへ帰るという男だ」
「…………?(理解不能)」
しばらく、他愛の無い話が続く。そして夜は更けていく…。
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「さて、行くか。今日中に帰るなら、そろそろ東京駅に行かねば最終に間に合わんぞ」
「えっ?!。もうそんな時間っ?!」
慌てて携帯電話の画面で時間を確認する美雪。
「夜行で帰るなら構わんが、若い娘が1人で乗るもんじゃないしな」
「う〜ん。帰るのは別に明日でもいいんだけど…。でもお土産いっぱい買っちゃって余分なお金ないし、どーしよっかな〜…」
「余計な物買い過ぎだ、お前。今時、東京の土産物なんか買うか?」
「まだ帰りたくないなぁ〜…。この辺で安く泊まれるところ無いかしら?」
「?。なに言ってんだ、お前。ここは渋谷センター街だぞ。この辺で安く泊まれるって…」
そこでニックは「ピタッ」と止まった。ニックの反応を観察するように「じっ」と見つめる美雪の表情も心成しか固い。
「(…そういう事か、美雪。今日は最初からそのつもりで…)」
しかしニックは判断に困っていた。そうあっさりと据え膳に食いついていいもんだろうか?。あれ以来、携帯やメールでのやり取りは頻繁だったが、直に会うのは今日が2度目なのだ。ニックはなぜか、この一線が超えてはいけないシュバルツシルト半径のように思えた。
しかしその葛藤も、美雪の素直な眼差しを見た途端、消え去った。
「美雪?」
「うん…」
「今日は泊まりでいいんだな?」
「…うんっ!」
美雪の笑顔に迷いは無い。これは彼女自身が望んだ事なのだ。
―――
ニックは一足先に湯船に浸かっていた。脚の疲れを揉み解しながら、
「(俺も若くないな〜…)」
などと苦笑していた。そこへ大型のバスタオルを体に巻いて全身を隠した美雪が恥ずかしそうにゆっくりと入ってくる。そしてニックを見て表情が驚きに変わる。
「やだ、ニック。お風呂に眼鏡したまま入るの?」
「眼鏡が無いと歩く事もできないからな」
「なんか恥ずかしいな…。今だけでも外さない?」
「そんなもったいない事できるか」
わざとらしく眼鏡の位置を調整するニック。それでも美雪は覚悟していたかのように躊躇なくバスタオルに手をかけた。
「…………驚かないでね」
一瞬、何に驚くのだ?と疑問に思ったが、その疑問は即座に消えた。バスタオルの下から現れた美雪の肢体。それを見て、氷のように固まるニック。腕、肩、胸、脇腹、太股、小さな美雪の体を無数に這う“傷痕”…。それはかつて美雪が遭遇した、巨大なプラレスラーの自爆に巻き込まれた際の傷痕。はっきり見える物だけでも軽く10箇所以上はあるだろうか。全身傷だらけの美雪の裸体を呆然と見つめるニック。ニックは、今朝新幹線ホームで見た美雪の太股の絆創膏の位置にも大きな縫合跡が残っているのを確認し、絆創膏の意味を理解した。そういえば初めて会った時も腕に絆創膏を貼っていたような気がする…。
「驚いた?」
「ちょっとな」
ニックは平静を装った。
「“あの時”の傷…。時間が経てば消えるかと思ってたけど、どうやら一生消えないみたい…」
ぎこちなく笑う美雪。
「整形外科にも行ったわ。でも今の医学でも完全には消せないって。それに、この量じゃお金がかかり過ぎて…。お母さんはかなり嘆いたわ。これじゃお嫁に行けないって」
ニックは完全に言葉を失い、無言で美雪の話を聞いた。
「私もそれ以来、彼氏が欲しいなんて思わなくなったわ。せっかく仲良くなっても、これを見た途端に逃げられたりしたら余計辛いから…。だから体型も着る物も気にせずプラレスに打ち込めて、それで今の私があるの。だけど、ニック。そんな私の前に突然あなたが現れたの!」
顔を伏せていた美雪が突然顔を上げ、まっすぐにニックの顔を見る。
「なぜかしら、私にも分からない。この人なら私の心の傷も体の傷も受け入れてくれるって思えて…。それで決心したの。今度ニックに会ったら、全て見てもらおうって。私の体、しっかり見てもらって、それでだめでも…、今ならまだ…諦めがつくし…」
ここまで聞いて、ニックは静かに湯を出た。そして真っ直ぐ美雪に歩む。
「美雪…」
美雪の顔を見つめるニックに対し美雪は続ける。
「ほら、見てここ。凄いでしょう?」
前髪を上へ上げる。大きな傷が髪の生え際をえぐっていた。もうそこには頭髪は生えないらしい。
「美雪、もういい。もう分かった」
「ここも凄いわよ。2cmもある破片が出てきて…」
「もういい!。やめろ!!」
両手で美雪の肩を掴むニック。
「…ニック?」
ようやく我に帰る美雪。
「美雪…。ほんとは死ぬほど恥ずかしいだろうに…。それを…」
「でも…。初めに見ておいてもらわないと…」
「男を軽んじてもらっては困るな。全員とは言わんが、少なくとも俺は、後からこれを見せられて逃げ出したりするほど小さい男では無いつもりだ」
「本当?。こんな私を…、こんな傷だらけの女を抱ける?」
「気にし過ぎだ、美雪。お前の可愛い顔を見てたら、そんなもの目に入らんよ」
「えっ…?」
ニックは美雪の頬に手を添えて言った。
「可愛いよ、美雪。よく頑張ったな」
「…ひどいわ、ニック。確かに今日中に言ってくれる約束だったけど、最悪のタイミング。同情にしか聞こえない…」
「同情なんかじゃない。俺がそんな男に見えるか?」
「…………本当?。信じていい?」
「もちろんさ」
美雪の顔が一気に綻ぶ。
「私、一生ついていくわよ、あなたに。あなたが死んだら後追うわよ。それでもいい?」
「構わんが、お前が先に死んでも俺は後追わんぞ」
「…………」
「…………」
「ぷっ。もう、ひどいわ、ニック!。こういう時は嘘でも『俺もだ』って言ってよぉ〜」
「俺は嘘はつかん」
「へぇ〜。そーだったかしら?。大橋健太さん?」
「すまん。時には嘘も必要だな」
ごまかす様に美雪に抱きつくニック。
「ねぇ、ニック」
「んー?」
「ありがとう…。あなたに会えて良かった…」
『俺もだ』
満面の笑みを浮かべる美雪。
「それじゃ、今の私、何点?」
「90点」
と言いながら、初めて会った日の倍の点数になっている事にニック自身驚く。
「よしっ!、5点追加〜。…でも、あと10点は何?」
「これから俺の言う通りにしてれば自動的に100点満点さ!」
美雪の小さい体を軽々と抱きかかえバスルームを出る。
「えっ!?。ま、待って!。私まだシャワーも…」
「構わん」
「心の準備が〜っっっ」
「構わん」
「ニックが獣になったぁ〜っ」
「おうっ。今から野生モードに突入だぜっ!。覚悟しろいっ!」
「ひょえぇ〜〜〜っ(泣)」
美雪をクッションの効いた丸いベッドの真ん中に「ばふっ」と降ろす。
「ま、待って。ほんのちょっとだけ…」
「この期に及んで何だ?」
慌ててベッドの上で正座し三つ指をつく美雪。
「ふっ…ふつつか者ですが…、頑張りまっす!。宜しくお願いします!」
「…何を頑張るんだ、美雪?」
ニックは決意した。もう美雪を離さないと。この子は幸せにしてやらなければならないと。そして、これが「愛」っていう物なのかなと、初めての感情を前に戸惑う自分に驚いていた。
―――
ベッドの上で重なり合う2人…。ニックは美雪の体を愛撫しながら、体の傷痕1つ1つにキスをして舌を這わせた。その行為に美雪は涙した。それは美雪にとって、傷痕が消える魔法のようだった…。
to be NEXT...
〜あとがき〜
いや〜ん、恥ずかしいっす♪。ついにR15から18禁にステップアップしちゃいました。でも、このシーンだけは絶対に外せないんです。美雪がヒロインなんですっ!。どうか美雪に思いっきり感情移入して頂ければと思います。
そーいえばプラレスラー出ないにゃ〜。次話は…“プラレスラー”は出ないです(笑)。
※註
「エンスー」
Enthusiast(熱心家・狂信家)。車の世界では、特定の車種やメーカーのみをこよなく愛する人や、ブリティッシュライトウェイトオープンだけに固執する人などを指す。筆者もその1人。筆者の前の愛車「カプチーノ」などは、その三角窓の形だけでエンスーはもうメロメロ(笑)。S2000は素晴らしいスポーツカーだがオープンカーとしては落第です。ドアが高過ぎて腕が出せねーっ(怒)。剛性高きゃいーってもんじゃねーぞー。風の巻き込みが少な過ぎる。顔に風が当らずにオープンドライブと言えるのか?。風のチューニングが甘い。でも走りは最高♪。
「シュバルツシルト半径」
天文用語。「事象の地平」とも言う。ブラックホールの持つ、光も(つまりあらゆる物体が)脱出不能となる重力圏の引き返し不能点の事。この半径を超えたら、光速を超えない限りあらゆる物がブラックホールに消え、その生涯を終える。事象の地平とはそういう意味。転じて、人の行動に対して、引き返せなくなる超えてはいけない一線を指す。
余談ですが、筆者は「ビッグバン宇宙論」には否定的です。解釈に無理が多過ぎる。本当に宇宙は膨張してる?。膨張してるのは天体だけじゃないの?。今や常識の宇宙論に一石を投じる私(笑)。